<グリーフケアに関して>

 

 カウンセラーは、

 

 1999年1月 生まれて25時間40分の次男を、新生児遷延性肺高血圧症で亡くしました。

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関谷共未, 「赤ちゃんを亡くされた遺族へのグリーフケア : 遺族のケアニーズの一考察」『ソーシャルワーク研究 : 社会福祉実践の総合研究誌 / ソーシャルワーク研究編集委員会 編 (相川書房)』37(4), 41-50,2012. 

 

関谷共未, 「赤ちゃんを亡くした家族が医療者に望むこと--25時間40分を生き抜いた晴河の命の輝きを通して〔含 赤ちゃんを亡くした遺族へのアンケート調査結果〕」『Neonatal care = ネオネイタルケア(メディカ出版)』 18 (11), 1130-1143, 2005-11.

 

 

関谷共未, 『もう一度逢いたい~愛する人を亡くしたあなたへ~』新風舎, 2004.

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 2024年3月 7か月間の壮絶な闘病の末、長男を希少癌(前立腺肉腫)で亡くしました。大学生の三男と共に自宅で看取りました。病気の自覚からわずか7か月、28歳でした。

 

 肉腫の診断が遅れ、異なる病名のもと15時間半に及ぶ必要のない手術の末、ダブルストーマとなり、健康な体の喪失、自身の体の変化を受け入れる時間もないまま、お腹の膿瘍(そのために肉腫の診断後、適切な治療を受けられませんでした)、右足の神経痛と麻痺、イレウスによるイレウス管挿管など、症状と痛みへの処置がなされず、闘病生活のすべての時間「一分一秒生きているのが辛い」と言わしめるほどの痛みと絶望の中にありました。最期の2か月間は、食べることも飲むこともできませんでした。

 

 医療において、AYA世代の患者の苦しみへの理解が十分ではなく、とりわけ家族・遺族会(医療従事者主催ではなく)の必要を感じています。