悲嘆

■28歳息子の突然のがん

 

・1995年 この時期から2007年まで,家族のうつ病とアルコール依存症(膵炎での危篤を数度体験,入退院を繰り返し,感情のコントロール不能のためのDV)の介護をしました。私自身の疲弊もあり,お互い思いやることができなくなりました。

*うつ病の苦しみ,うつ病患者家族の苦しみ,アルコール依存症の問題,DVのメカニズム。

 

・1999年 次男を「新生児遷延性肺高血圧症」

 

で,生まれて25時間40分で亡くしました。

*新生児死,周産期の死。家族・母親・幼いきょうだいのグリーフ。

       

・2023年 長男27歳で癌の診断(2023年現在28歳)。症状自覚から確定診断までの数か月の苦しみを経て,15時間30分に及ぶ手術を乗り越え,現在闘病中(創部の感染,膿瘍形成)。ダブルストーマ(人口膀胱&人口肛門)造設。

 

症状自覚から数か月にもわたる幾度もの検査,検査結果を聞くまでの恐怖,その流れの中で一度は極めて予後の悪い,世界でも症例の少ない希少癌であろうとの臨床診断(生検による確定診断前ではあったが,様々な検査結果と年齢・症状に鑑み,ほぼ「それ」であろうという臨床診断)を受け,耐えがたい壮絶な体の痛みと死に直面した恐怖,未来が失われる悲しみと絶望の中におかれました。

 

家族が共にいても,どれだけ友人の支えがあっても,恐怖と絶望に押しつぶされ,孤独感に圧倒される息子の傍らで,ただそばにいることしかできませんでした。大きな体を赤ん坊のように丸めて泣く息子を抱きしめるとき,生まれてから28年の息子の人生を思いました。

 

息子の未来が奪われる,次男を喪い長男までと神の不在にうちのめされ,母としての苦悩に何度も崩れ落ちそうになりながら,しかし残りの人生をかけて支える覚悟をしました。生検の結果,TNM分類の「T」が示す原発がんの広がり・深達度において悪性度の最も高い状態の癌ではありましたが,当初の余命数か月,死を覚悟せねばならない癌ではなく,治療の可能性に望みをつなぐことのできる癌であるとの確定診断を受けました。

 

【追記】 

しかし,その後また絶望の淵にたたされます。